0181 - 集団性
ある集団が一方向に向かっていた場合、その中にいる一人は、その方向が間違いであっても、それを指摘する事が難しい。
しかし、その間違いを指摘できる者こそがその集団の指導者になりえる。何千年も前から言われている事なんですが、本当になかなか難しいのが実情です。
「演奏家の養成だけでなく、指揮者の養成も必要だ」
と、いうことで1959年、フランス、ブザンソン市でオーケストラ指揮者コンクールが主宰されます。
きびしい書類審査、膨大な音楽に関する知識、指揮者としての心構えなどのテストが連日繰り返され、コンクールはヒートアップしていき、遂に最終選考に残ったのは、2万人の中からたったの8人。
そして、最終選考が開始されます。 既にオーケストラが待機し、8人それぞれに同じ楽譜が渡されます。
「この楽譜をいかに正確に指揮できるか?それで最終選考とします!」
さすがに選考に選考を重ねられたメンバーです。 それぞれが全くソツなくオーケストラから卓越したメロディーを引き出してきます。
そして、8人目の番になりました。 この男は、あのヘルベルト・フォン・カラヤンの弟子であり、注目度はナンバー1。 果たして、どんな指揮をしてくれるのか? 他の7人、審査員も固唾を飲んで見守ります。
そして・・・
「すいませんが、やり直させてください」
途中で間違えたのです。 はて、演奏家のミスか? いや、間違っていない。 やむを得ず、もう一度指揮をとるのですが・・・ 同じところでまた間違えたのです。
このカラヤンの弟子の不合格は間違いなくなりました。 しかし、このカラヤンの弟子はとんでもない事を言い出したのです。
「この楽譜には、誤りがある!」
一気にコンクールは騒然とします。 事態収拾のため、作曲者、編曲者が呼ばれ、間違いなどないことを説明しますが、このカラヤンの弟子は聞き入れません。 他の7人も、「どこにも誤りなどない」と、言っています。 誰がどう見ても、自分の失敗を楽譜のせいにしているようにしか見えません。
「審査委員長、お願いしますよ。あのカラヤンの弟子に何とか言ってやってください!」
困り果てた作曲者、編曲者、他の7人が審査委員長のもとに駆け寄ると、
「うむ。分かった」
審査委員長は、のそのそと、このカラヤンの弟子のもとに近寄ります。
「この楽譜に誤りがあるって?本当にそう思うのか?」
「もちろんだ!」
そう断言したのを見て、審査委員長は言い切りました。
「よくぞ、見抜いた」
つまり、この最終選考、「いかに正確に指揮できるか?」がみられていたのでは、なかったのです。 この誤りを見つけることができるかどうか?そして、指揮者として、確固たる信念を持ってそれを指摘出るか? それをみられていたのです。
こうして、このカラヤンの弟子は優勝すると、そのエピソードとあいまってその名前は世界中に轟くようになり、1961年、ニューヨーク・フィルの副指揮者に選ばれ、1962年には、サンフランシスコ・フィルを指揮し、世界デビューを果たします。
重厚な幕が開きますと、アメリカらしく派手な場内アナウンスが響き渡ります。
「ご来場の皆様! 本日、我らサンフランシスコ・フィルは偉大なる指揮者を迎えることとなりました! カラヤンの弟子にして、あの指揮者コンクールの優勝者です! それでは、盛大なる拍手でお迎えください!
サンフランシスコ・フィル新指揮者、小澤 征爾を!」